2016年11月、レイクビュー水戸にて第40回オセロ世界選手権が開催された。優勝はタイのPiyanat Aunchulee選手。予選4位というギリギリの通過で決勝トーナメントを迎えたが、決勝で好調のYan Song選手相手に一度も負けること無く優勝を成し遂げた。
Piyanat選手は決勝トーナメントの常連ではあるが、優勝は今回が初めて。普段はあまり感情を表に出さないタイプの寡黙な選手だが、対局後やVictory Dinnerでのガッツポーズはとても美しかった。
ライブ配信実況担当として会場内にいた筆者だが、本記事では予選、決勝トーナメントを通して感じた「熱さ」をできるだけ写真と文章で伝えたいと思う。プレイヤー目線の感想はオセロニュースに掲載されるだろうからそれを待ちつつ、一足お先に第三者目線での記事を通じて大会の雰囲気を感じでもらえれば幸いである。
day 1:Round1-7
予選Round1から7まで開催されるday1。まず圧倒的な強さを見せたのが日本代表の長野七段であった。1回戦で三屋七段との日本人対決を制したあと、Round3でBen Seeley、Round4でYan Song、Round6で高梨九段などの強豪に勝利した。この日ほとんどの上位勢と対局して勝ったことにより、決勝トーナメント進出はかなり濃厚となった。
B:SEELEY Ben
W:NAGANO Yasushi
B:TAKANASHI Yusuke
W:NAGANO Yasushi
また日本代表勢は木下五段と高梨九段が6勝1敗の好成績で初日を終えた。予選Round13戦のうち、10勝3敗で終えることができれば決勝トーナメントへの進出がほぼ確実となるが、過去女性プレイヤーで決勝トーナメント進出に進出した選手はいない。大きな期待が寄せられた。
B:DONG Zhen
W:TAKANASHI Yusuke
三屋七段も5勝2敗で初日を終えて上出来とも言える結果だろう。何せRound1で不幸にも長野七段と対戦となってしまった。
和田三段は4.5勝2.5敗となった。二人ともday2の結果次第で決勝トーナメント進出の可能性を残している。特に和田三段はユース部門の資格もあるため、取りこぼしが許されない展開となるだろう。
day2:Round7-13
day2を迎え、いよいよ決勝トーナメントを伺った戦いが始まった。この日も強さを見せたのが長野七段。結果的に予選13ラウンドすべての対局に勝利するという快挙を成し遂げた。B:NAGANO Yasushi
W:PIYANANAT Aunchulee
高梨九段も11勝2敗。2位で予選通過を決めた。
また木下五段はRound9でBen Seeleyから金星をあげる。なんとBenは6個空きで敗着。局後「十分時間のある状態で、6個空きで敗着を打ってしまったのは初めてだ」と悔しさを滲ませており、そして何よりも驚いていたのが木下五段本人である。「Benがその敗着を打ったあとすぐに気づき、席を立ち上がって後ろに歩いていった」と語っていた。
B:SEELEY Ben
W:Hisako Kinoshita
WOCで盛り上がるポイントの一つといえばやはり11~13ラウンドあたりの「予選通過ボーダーライン集団の対局」だ。11ラウンドを終えて8勝3敗グループにBen Seeley、Yan Song、木下五段などがいて、7.5勝グループにはPiyanat Aunchulee、三屋七段がいる。この選手たちは、「あと1敗したらほぼ予選敗退」となるため死力を尽くした戦いを余儀なくされる。
筆者はday2以降、ほとんど配信ルームにいて会場内の様子を伺うことはできなかったが、画面越しにみていてもRound12のBen Seeley vs Yan Songの熱戦は震えるほどであった。対局後配信席に来てくれたYanは激戦を経て苦しい勝利を得た反動か、目をかなり赤く腫らしていた。
B:Ben Seeley
W:Yan Song
Round13に突入。この時点で長野七段と高梨九段は予選通過を決めている。配信の解説で末國九段は「通過がほぼ決まった段階で、いわゆる『手を隠す』ことも一つの戦略」と言っていた。現在のWOCは、ラウンドが終わった瞬間に棋譜が既にWebにアップされる環境が整っている。準決勝、決勝の対戦相手が予選に打っている手はすべて筒抜けといってもいい。
高梨九段は最終戦で普段打たないという羊定石を選択したが、打ち慣れていないせいかベルグ選手に敗北。これが意図的なのかどうかはわからないが…。
なおRound12が終わった時点での結果は以下。
12勝
・Yasushi Nagano
11勝
・Yusuke Takanashi
9勝
・Yan Song
・Kinoshita Hisako
8.5勝
・Piyanat Aunchulee
8勝
・Ben Seeley
他
・Yasushi Nagano
11勝
・Yusuke Takanashi
9勝
・Yan Song
・Kinoshita Hisako
8.5勝
・Piyanat Aunchulee
8勝
・Ben Seeley
他
9勝同士の木下五段とYan Songの対局が組まれた。
10勝すれば予選通過が確定するので、この対局の勝者が自動的に決勝トーナメント通過となる。もし負けて9勝のままでも、8.5勝のPiyanatがもし負けたら9勝に届かないので「9勝グループの上位2名」によるプレーオフとなる。そしてPiyanatは次の対局でもし勝てば9.5勝になり予選通過の確率がかなり高くなるという、かなり複雑な状況になってきた。
B:Hisako Kinoshita
W:Yan Song
もう一つの決勝トーナメント進出を賭けた戦いはBen SeeleyとPiyanatの組み合わせ。Benはここまで8勝で、自力での通過は不可能。この対局に勝ってプレーオフ進出への望みを繋ぎたい。Piyanatは勝てばほぼ通過、負ければプレーオフ進出の可能性が出てくる。
B:Piyanat Aunchulee
W:Ben Seeley
運命を分けたこの一戦はPiyanatが2石差で勝利。白を持ったBenは終盤で勝勢になるも、52手目でまさかの敗着!順当に右上の隅を取れば連打できて勝てたはずの局面。この一手こそが、day3の運命を変えたのかもしれない。Piyanatにしてみれば完全に落としていた対局を、幸運にも拾うことができたのである。
このようにして第40回オセロ世界選手権の予選が終了した。長野七段が1位、高梨九段が2位、Yan Songが3位、そして4位がPiyanatだ。アジア勢による決勝トーナメントである。近年タイ、シンガポール、中国などが力を伸ばしていると言われていたが、その通りの結果となったかもしれない。
個人的な話で恐縮だが、筆者はBen Seeleyが決勝トーナメントで活躍するところを見てみたかった。振り返ってみると、彼が2003年、2004年とWOCを連覇した頃「Benには誰も勝てない」と言われるほど精緻なオセロを打っていた。しかしBenは「Tamenoriに勝たないといけない」と言い、2006年水戸での世界選手権に乗り込んできたのである。あの時の準決勝で為則九段と対局した姿を筆者は昨日のことのように思い出すことができる。
(2006年、10年前のBenと筆者)
あの時Benは準決勝で為則九段に負けてしまったが、10年経った今年、また彼は日本に戻ってきてくれた。ブランクの期間に何があったのか詳しくは知らないしそんなことはどうでもいい。Benは10年経ってからも存在感を示していた。筆者にとってのオセロのヒーローはいつまでもBen Seeleyだ。
決勝2局目の配信を終えたあとのBen、村上九段、谷田七段、筆者。
Benは哲学的な、ジョークの通じない固い人間かと思っていたのだが実は全然そんなことない、ユーモラスな人間であることがわかったのも面白かった。予選終了後、解説のオファーを快諾してくれたのだが「髭は必ず剃っていくから」という答えが返ってきたり、解説中もハリーポッターの話をしたり、大会終了後カラオケで熱唱するBenの姿を見てしまった。
10年後、日本でまた会いましょう。
day3:Semi-final
2016年11月4日(金)決勝トーナメントが始まった。準決勝は予選1位長野七段 vs 4位のPiyanat Aunchulee、予選2位高梨九段 vs 3位Yan Songの組み合わせとなった。予選では圧倒的な力を見せた長野七段と高梨九段だが、決勝トーナメントでどのような戦い方をするのか注目だ。NAGANO Yasushi vs Piyanat Aunchulee
会場に到着し、長野七段の姿が見えたので声をかけた。「4時間くらいしか寝られなかった」とのこと。彼のここ一番での勝負は非常に強いが、世界戦のような長期戦はおそらくあまり経験が無いだろう。表情を見たが疲れは取れていない様子だった
対するPiyanatはいつもの通り飄々とした表情で会場に現れた。彼がどんな気持ちでこの準決勝を迎えたのかはわからないが、彼もまた幾度となく優勝目前で敗退していることもあり、期するものがあるだろう。
B:NAGANO Yasushi
W:Piyanat Aunchulee
色の選択権を持っていた長野七段は「黒」を選択。長野七段は1局目に黒番を採用した理由を「Piyanatが黒番のときに、F8コンポスを打ってくることは事前にわかっていて、自分の受けを対策してくることが明白だったこと。そして、1局目を黒で勝てれば2局目白番で引き分けでも十分というのも黒を選んだ理由の一つでした」と語っていた。
WOCでの予選と決勝トーナメントは戦略がかなり異なるということはよく言われるが、ここまで命運を分けた戦略も無いだろう。1局目、序盤の研究が深いPiyanatを警戒して選択した戦略が刺さらず、予定外の敗北を喫してしまった。
当然Piyanatは2局目がかなり楽になり、長野七段は2局目の途中で引き分け進行を外さざるを得なくなった。Piyanat相手にその選択はあまりにもギャンブルであり、予選全勝という快挙を成し遂げた長野七段は準決勝で敗退となった。
B:Piyanat Aunchulee
W:NAGANO Yasushi
対局後の2人の写真だ。この写真を見ただけでもボードゲームの過酷さと美しさが伝わるのではないかと思っているがいかがだろうか。
TAKANASHI Yusuke vs Yan Song
一方、対局前の高梨九段はさすがにリラックスしていた。自身5度目の決勝トーナメント進出であり、彼ほど「3番勝負の戦い方」を熟知しているプレイヤーはあまりいないだろう。自信がみなぎっていた。
3位通過のYan Songと決勝進出をかけて戦うが、高梨九段には初戦の色選択権がある。「3番勝負はいかにして初戦で有利な状態に持ち込むか?より勝ちやすい白番を選択したい」と常に言っており、彼にとっては理想的な展開に持ち込めるはずだった。
B:Yan Song
W:TAKANASHI Yusuke
初戦でまさかの引き分けとなったこの対局。中盤からかなり形勢が苦しい白は、どうにか引き分けに持ち込んだ形であったが第2局は手番が変わるので黒が高梨九段、白がYan Songになる。
B:TAKANASHI Yusuke
W:Yan Song
2局目もYan Songが盤石の打ち回しを見せて、8石差で勝利。次の3局目は高梨九段が黒番でかつ38石以上取らないと決勝に進むことができない。もっとも3番勝負の勝ち方を知る男が完全に追い込まれた。
集中しているのか、追い込まれているのか。
B:TAKANASHI Yusuke
W:Yan Song
急戦形に持ち込むために蛇定石に誘導する黒。しかし、Yan Songは正確に応じ中盤には勝負が決まってしまった。
高梨九段は5度目のWOC参加にして初めて優勝を逃すことになった。局後に彼と少し話したが「何もできなかった。Yan Songは本当に強かった」と素直に劣勢を認めていた。
彼の今までの功績は世界中のオセロプレイヤーから最大の尊敬を得ている。この敗北が彼の名誉を貶めることは一切ない。レセプションパーティでも多くの選手から写真撮影をお願いされていた。しかし、彼もやはり人間だった。オリンピックで金メダルを取り続ける選手が「負ける恐怖」を味わうように、高梨九段も似たような恐怖があったのだろう。彼がまた強くなってWOCの決勝に出てくることを祈るばかりだ。
予選で好調な出足だった日本代表勢だが、結果的に長野七段、高梨九段ともに準決勝で敗退することになった。もちろん油断をしていたわけではないだろう。振り返ってみると、日本人がいない決勝は2002年アムステルダム大会以来である。奇しくも大会直前のインタビューで高梨九段が語っていた「海外選手の棋力は確実に上がっている」という言葉を証明することになった。
Final
決勝は大方の予想に反して中国代表のYan Song vs タイ代表のPiyanat Aunchuleeという組み合わせになった。
2人とももちろん実力者であるが、世界トップクラスではないと思っている人もいただろう。しかし、勝負事とは強い者が勝つのではなく、勝った者が強い。今この時点でオセロ世界最強はこの2人のいずれかになる。
2014年、シンガポールで筆者はYan Songと話をする機会があった。彼はエンジニアとして働きつつオセロの研究を行っている。アジアで開催されるWOCには参加したいが、欧州への大会参加は旅費がネックと言っていた。来年以降またヨーロッパでの開催が増えるだろうから、そういう意味でも数少ないチャンスが到来したと思っているだろう。
B:Piyanat Aunchulee
W:Yan Song
オセロ有段者であれば、この棋譜を見てPiyanatの黒番の強さが伝わるだろう。45手目黒G2で完全に勝負を決めたPiyanat。予選順位下位で不利な状況にもかかわらず、しっかりと1局目を勝ちきり一気に世界チャンプへと近づいた。
決勝で海外の有名選手にゲスト解説にきてもらうという実験的なことを行ったのだがいかがだったろうか。準決勝でNicky van den Biggelaar 、決勝1局目はImre Leaderが、2局目はBen Seeleyが来てくれたのだが、3人ともオファーを快諾してくれた。
特にBenはとにかくユーモラスなことを話したくて仕方ない様子であった。中盤で時間を使わないPiyanatの打ち回しを見て「もし彼が世界チャンプになったら、歴史上もっとも対局時間を使わなかったチャンプになるだろう。もっと時間を使わないといけない」と話したり、勝勢になったら「先ほどの発言は間違っていたとPiyanatに謝らなければいけないね」などBen節がここぞとばかりに発揮されていた。
B:Yan Song
W:Piyanat Aunchulee
2局目が開始。後がないYan Songは勝負に出るが、この進行もPiyanatはおそらく苦手とはしていないだろう。筆者は映像を見ていたのだが、47手目黒e8に着手したあたりからYan Songの表情はあきらめにも近いものがあった。おそらく2石差を読み切ったはずだ。解説席も2石差でPiyanatの勝ち、という評である。
こうして2連勝でPiyanatが決勝戦を制した。第40回目の節目となる日本の大会で外国人が優勝したのは日本のオセロ界にとっても大きな刺激となるだろう。
対局室を笑顔で出るPiyanat。
紙幣のようなものを広げて喜びを表現するPiyanatと、それを覗き込むYan Song。これはタイの紙幣だろうか。
対局直後の2人。
配信ルームにきて祝福される2人。Yan Songは「高梨九段がプロモーション動画でWOC制覇について語っていたのを見て『自分が止められたらいいな』と思っていた。それが叶ったので満足だ」と言っていた。Piyanatは、予選から苦しい戦いが続いたが決して諦めない、そういう強い気持ちで戦うことができたと語ってくれた。
Victory Dinner
大会が終わり、ビクトリーディナーが始まった。主役は当然Piyanatだ。賞金とトロフィーが送られた。
Piyanatを称えるYan Songと高梨九段、長野七段。
女子チャンプは中国代表のDong Zhen選手、そしてユースチャンプには和田三段が輝いた。
そして次回WOCの開催地はベルギーのゲントで開催されることが発表された。ベルギー代表のトム・スコットが壇上に立ち、WOCフラッグが手渡された。
宴は2時間近く行われていたが、選手同士が本当にリラックスして思い切り楽しんでいた様子だった。これこそがまさに高梨九段が言う所の「同窓会のようなもの」なのであろう。素晴らしい時間をおのおの過ごし、オセロ世界選手権は閉幕した。おめでとう!Piyanat!
最後に
筆者はオセロプレイヤーですが、もちろん日本代表になれるような実力はありません。そんな立場にも関わらず、ここまでオセロ世界選手権に携わることができて本当に幸せに思っています。日本代表選手団、すべての海外プレイヤー、Benkt氏、メガハウスの皆様(特に配信にてお世話になった前畑さま、田中さまとはかなり長い時間を過ごせて楽しかったです)、日本オセロ連盟理事の皆様、配信で解説を担当してくれた村上九段、末國九段、谷田七段、ウェルプレイドの皆様、「Othello News」のTrees氏、その他会場にいたすべての人たち、そしてすべてのオセロファンに感謝します。