DSC_2000オセロメジャー大会優勝の国内最年長記録を着々と更新し続ける滝沢九段。2度の世界選手権制覇、そして2008年、2009年、2010年と怒涛の3年連続メジャー大会制覇をし、まさに「完全復活」という表現が相応しい活躍を見せている。普段は新潟ブロックの大会に精力的に参加し、独特のキャラクターで知られる滝沢九段の人となりに迫ったインタビューだ。

2015年の名人戦は参加しますか?

もちろん!新潟ブロックのみんなと車でいきます。


関西での開催の時は毎回車ですか?

うん、車で。ちなみに去年は一箇所を除くすべてのサービスエリアにとまったので到着まで8時間かかったかな(笑)。


なんですべてのサービスエリアに止まったんですか(笑)

せっかく車でいくので名物のもの食べたいでしょ! だから全部止まってお土産を買いまくったんだよね。全部で2万円近く使ったかな。

ちなみに一箇所止まっていないのは、その時ラジオで甲子園が放送されていて、日本文理(新潟県代表校)の一回戦の放送していたから。運転手の梅沢くんと熱中して聴いてたら通り過ぎちゃった(笑)今年は新潟代表は出ないし、SAも当たり外れがわかったからそんなには時間かからないよ。


新潟ブロックの方はみなさん本当に仲良いですよね。普段から普及には精力的なのですか?

例えば藍原くんは「新潟ブロックの営業部長」になってくれていて、フリーペーパーなどを作ったりもしてくれている。あと、みんな子供向けのイベント依頼がきたら必ず仕事を請けるようにもしている。みんな公認指導員だからね。

やはりオセロの楽しさをたくさんの人に知ってほしい、と思ってる。「将棋はわからないけどオセロならわかる」という子供もたくさんいるからね。それこそおもちゃの商品目当てでもいいんだよ。私も1980年ごろ「LSIベースボールゲーム」という電子野球盤が欲しくて参加したくらいだし(笑)。


そういえば昔から不思議に思っていることがあるんです。瀧澤信行(六段)さんと滝沢雅樹さんって兄弟ですよね?なんで苗字の漢字表記が違うんですか?

ああ、これはね、「瀧澤」の文字を書くのがめんどくさいから。


え?

オセロの対局のときにさ、用紙に苗字を書かなきゃいけないでしょ。せめてオセロの時くらいは簡単に書きたいんだよね。


てっきり僕は何か兄弟間でオセロにおける確執があったりとかして仲が悪くて別表記にしてるんじゃないかと思ってました…。

そんなの全然ないよ(笑)。ちなみに弟と会うのは最近だとお互いがメジャー大会に出てる時だけ。正月に実家で会ったりとかもしないので、メジャー大会で会う時に昼飯とかいって話をするのが恒例になってる。

オセロとの出会い


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オセロにハマったきっかけを教えてください。

『小学2年生』というの雑誌の付録に紙を切り取って遊ぶオセロゲームがついていて、父親がルールを教えてくれた。ルールが簡単だったので、当時幼稚園生だった弟とも一緒にやったんだよね。

それ以降友人とオセロをやるとそれなりに強かったわけだけども、中学2年生の時に当時新潟県の新津市立図書館で『逆転の発見』を借りて読んだのが本格的にハマったきっかけ。

「こんな本があるんだな」「定石というのがあるんだな」「全日本選手権というのがあるんだな」という感じで色々学んでいた。本の貸出期間は2週間なんだけど、貸出期限がきたら返却してまたすぐ借りて…を繰り返して定石やコツを学び、オセロが自分なりに強くなった感じですね。


大会には参加しましたか?

高校1年生のときに「おもちゃのオオノ」というおもちゃ屋で開催されたオセロ大会に参加しました。実は高校生で参加することが恥ずかしくて、中学3年生ということにして出ました。


え!あの時高校生だったの?(同席の五十嵐理事)

うん、年齢詐称(笑)。1回戦で弟と対局して負けました。この大会に五十嵐理事が見学にきていたんですが、その対局を見て五十嵐さんから弟宛に「県大会に出ないか?」というハガキがきてました。4位までに入ると北陸大会に進める大会ですね。


当時は新潟ブロックが無かったんですか?

そうそう、第9回全日本の時までは新潟ブロックが無かったんです。新潟県大会で予選を突破しないと北陸ブロック大会に出られなかった。ちなみに全国大会参加者には旅費も出たんですよ。

弟はその北陸ブロック大会も突破して第9回全日本選手権に出場。4位になってました。ちなみにその年の少年少女の部は優勝が亀本(五段)で準優勝が谷田くん(七段)。ベスト16の時に坂口(九段)に勝ってる。


それは刺激になりますね。

自分は弟と同じくらいのレベルだったので「おれも頑張れば上位に入れる」と確信して、それから再び『逆転の発見』を読み直した。


初めての全国大会はどうでした?

初めて参加した全日本では1勝2敗でした。翌日には学生選手権があって予選を突破することができて、決勝リーグでは世界チャンプの丸岡さんに勝てた。優勝は石井健一(六段)だったかな。とにかく、この時「自分は全日本レベルで通用する」と自覚しました。


メジャー大会制覇〜世界へ


本格的にオセロをやり始めたのは大学生の頃からですか?


大学に入ってから1年〜2年の時は学園祭等で忙しくてオセロはあまりやってませんでした。所属は北関東ブロックで、予選は通過したけど忙しくて全日本には出ていないです。

2年生の終わりに北関東名人戦で優勝し、全国名人予選でも優勝しました。当時は関東オープンでも優勝を重ねており優勝候補筆頭になってたと思う。そして1985年の全日本でついに優勝。予選で河村元名人に勝ってます。決勝トーナメントで為則くんに当たらなかったのも大きいけど、全日本前の名人位決定戦でも彼に勝ってたので、もし当たっても気後れすることはなかったかな。


そして初の世界選手権ですね。

ギリシャでの世界大会でした。第9回世界大会。今でもそうかもしれませんが、やはり「日本代表が勝って当たり前」というムードがすごくて確かにプレッシャーはかかりました。

当時は1カ国代表一人で、1985年は参加者が9人だけ。予選リーグは5人グループと4人グループに分かれて戦います。

決勝でイタリアのパウロ・ギラダートと対戦。2局とも圧勝だったかな。この時はディビッド・シェイマンが優勝候補だったのですが、準決勝でシェイマンがギラダートに負けてしまい、僕は準決勝でイギリスの中学生と対局で安全運転で勝利。結局この年の世界選手権は予選も通して全勝でした。


全勝はすごい!そして次の世界大会優勝は1994年?

はい、世界選手権パリ大会で優勝しました。予選ではマーク・タステとブライトウェルに負けて11勝2敗でした。決勝戦の相手はデンマークのフェルドボーグ選手。



Black:43(M.Takizawa)
White:21(K.Feldborg)


ちなみに1994年は日本選手団でパリオープンに参加してます。優勝が中島くんで準優勝は末國くん。みんなでルーブル美術館に行ったんだけど、末國くんはモナリザとミロのヴィーナスをちらっと見たら喫茶店入ってすぐオセロやってました(笑)村上くん(村上九段)は1枚の絵を見終えるのに5分以上かかってるんだけど(笑)

ユーロディズニーにも行ったんだけど、アトラクションが40分待ちだったのね。そこで3人-3人に分かれてオセロを始めたの。「みんなで相談してもいい」というルールにしたんだけど、その40分で結局20手しか進まなかった(笑)その後、アトラクションを楽しむこともしないで、休憩所でオセロ盤を出して、2時間かけて試合の続きをしました(笑)


その後はあまり大会には出ていなかったのですか?

結婚して子供が生まれたんですが、子供に障害があって家庭が忙しくなりオセロの活動を積極的に行うことができなくなりました。なので、参加するのは基本的にメジャー大会と県内の大会、そしてスターキャンプだけ。


そして2008年に王座となりメジャー大会久々の制覇ですよね。

2006、2007年の水戸で開催された王座戦は遠方で参加できなかったのですが、2008年は東京だったので参加しました。2回戦で伊藤七段との対局をどうにかうまく引き分けて、最終戦の決勝で中森くん(中森六段)に勝って王座になっちゃった。


Black:38(M.Takizawa)
White:26(H.Nakamori)


実はこの年の全日本選手権の時、2連敗3連勝で最終戦村上くんに勝ってサブマリンで勝ち越したのね。こういう大事な局面でライバルの村上くんに勝つことができて「おれはまだやれるんだ!」と自信を持つことができて、それが王座戦につながってるんじゃないかな。


この年から怒涛の3年連続メジャーですよね。

2009年は全日本選手権で優勝。相手は中村六段でした。下馬評は彼の方が高かった。中盤でこちらがBOOKを外していき、というかBOOKを知らなかったんだけど(笑)うまい具合に打てて勝つことが出来たのね。


Black:36(M.Takizawa)
White:28(T.Nakamura)


そういえば、全日本選手権って決勝進出すると待ち時間があるでしょ?この時の全日本選手権で決勝前に僕がぼーっとしてたら、とある四段の子が「打ちませんか?」って言ってくるのね。こっちは決勝前なんだけど(笑)

そうしたら彼に40石差で負けてしまって。しかも終わった後「お名前はなんと言うんですか」って聞いてくるの。「滝沢です」って答えたら「信行さんですか?」って言われて!「いや雅樹です」って答えたよ。僕のこと知らなくて、決勝出てることも当然だけど知らなかったらしいんだよね(笑)


滝沢さんは直前に負けると強いんですよねー。王座取った時も、直前の練習会などで僕や藍原くんにも負けてました。「新潟で調子悪いとメジャー大会で優勝する」はもはやジンクス(インタビュー同席の梅沢五段)

2009年の世界選手権では予選リーグ9勝3敗1分け。高梨くんにも勝って決勝リーグに進んだけど、セミファイナルに高梨くんとあたって負けてしまったなあ。


Black:27(Y.Takanashi)
White:37(M.Takizawa)




2010年も王座から世界選手権へ。ご職業は小学校の先生と聞いてますが、3年連続オセロのために長期休暇取るのは大変じゃないですか?

奥さんの実家の富山の義母がヘルプで来てくれて、妻と一緒に子供の面倒を見てくれたし、学校でも校長先生が「クラスはなんとかするから頑張ってこいよ」と送り出してくれるから助かったね。帰国後、全校集会で児童1000人の前で報告をしてます。3年連続でね。

世界選手権のおみやげはクラスだけじゃなくて学年全員に買っていってて。だから荷物が多くなってしまうのね(笑) 珍しいものなのでみんな喜んでくれたよ。


ロイヤルロード


伝説的なオセロ冊子「ロイヤルロード」について教えて下さい。

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1985年に世界戦で優勝した後、調子に乗って作ってしまった(笑) 個人的に思うのは「ロイヤルロードのおかげで全国のオセロプレイヤーの実力を向上させてしまったな」と。今でこそインターネットで大会結果を確認できますが、当時はロイヤルロードに大会結果が載ってるような時期でした。

合計で51号まで出版したかな。30号くらいまではワープロで書いたものをお店でコピーし、ホチキスで留めて冊子に。それ以降は中島くんに印刷屋さんを紹介してもらってちゃんとした冊子にしていました。

当時のオセロの向上には寄与したんじゃないかな…。その後コンピュータ解析が主流になってきて「潮時かな」と思い終了しました。


当時はWZEBRAも無い時期です。どうやって作っていたんですか?

例えば東海ブロックから岩崎さんが、大阪からは宮崎徹さんから結果や棋譜が送られてくるわけです。協力者が多かった。そして、それらの棋譜を並べて自分なりの感覚で問題になりそうなものをピックアップするという作業をしていました。

また終盤に関しては当時「峯オセロ」というソフトがありました。終盤15個空きまで完全読みできるソフトです。15個空きを完全読みするのに1分かかるんですけど(笑)。でも中盤に関しては完全に自分の感覚です。いまWZEBRAにかけると見当違いのことを言ってるかもしれないですけど。


当時のオセロプレイヤーには大人気だったんじゃないですか?

(同席していた末國九段)当時ロイヤルロードに自分の棋譜が載り、滝沢さんに「手順が良かった」と褒めてもらえるのが本当に嬉しかった!オセロの情報が少なくて、当時のオセロプレイヤーは情報に飢えていたんだよね。だからとても貴重な冊子だったな、と。

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村上九段の存在、オセロトレーニング


ライバルは村上さんと仰ってましたよね。

村上くんの存在はとても大きいです。1985年くらいから村上くんと仲良くなって、関東オープンの後に食事にいったり、彼が私の家に来て徹夜でオセロをやったりするような仲でした。

ある時村上くんと「徹夜の14番勝負」をやって、7勝6敗1引分で私が勝利。当時村上くんは運に恵まれず、大会でなかなか優勝できてなかったけど強いのはわかっていた。末国くんがなかなか勝てなかったのも村上くんだよね。ちなみに僕の誕生日は村上くんより2ヶ月早いので、僕に伏せ石をできる人はこの世に存在しません(笑)


ですよね(笑)滝沢さんの普段の練習方法について教えてもらえますか?

現在の練習は、新潟ブロックの練習会参加と棋譜並べ。これだけ。ひたすら棋譜を並べて、オセロニュース用の実戦問題になりそうな棋譜を見つけて問題化する、これしかしていません。普段は仕事をしていて、あと子供の面倒を見なければいけないので、なかなかオセロを練習する時間が取れないです。

そういえば、今でこそオセロニュースは充実した内容になってるけど、第2期名人戦の頃のオセロニュースってタブロイド版見開き4ページくらいのものだったんだよね。名人戦挑戦者決定戦の棋譜が並んでてひたすら並べた記憶がある。


小さい頃はやはり弟さんと家庭内オセロで練習ですか?

うん。家庭内オセロで毎日10局以上は必ず打ってた。ほぼ5分の成績かな。ふたりとも同じ定石を使って、負けるとどこかで違う手を準備して打つようにしていた。最終的に負けたほうが「紅茶当番」になってたね。


明らかに「自分が強くなったな」と思ったのはどのタイミングでした?

高校3年の時ですね。全日本選手権では1勝2敗だったけど完敗という感じではなくて。そして翌年の学生選手権で北島秀樹(七段)に勝てたのが大きかった。当時は丸岡(八段)さんを中心に学生が強かった時期でした。相川さんという強い人がいてその人に勝てたり、佐々木一憲さんに学生選手権で勝てて自信が膨らんだかな。そして何と言っても、私の中のオセロの神様だった丸岡さんに勝てたのがとても嬉しかった。


僕達の知らない話がたくさん出てきてとてもおもしろかったです!最後に、今後の目標を教えてください。

50代でメジャー大会制覇をして最年長記録を更新します。

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